あの世の入り口に建てられた寺 千本閻魔堂 引接寺

平安時代に創建された引接寺(いんじょうじ)(京都市上京区)は、いまでこそ多くの参拝者で賑わうが、当時はあの世の入り口に建てられた寺として恐れられていたという。

引接寺がある場所は、京都の北の端(朱雀大路の北側)にあり、飢饉や疫病で死んだ人々を野ざらしで風葬していた場所であった。そこで、小野篁(おのの たかむら)という高官が1体の閻魔像を祀り、死者の供養のために寺が建てられた。平安時代に死者と一緒に無数の石地蔵が埋められており、その地蔵が本堂の裏側にある賽の河原(三途の川)を模して造った場所に祀られている。これらの地蔵は、近年、都市開発が進んだ際に発掘されたものである。また、あの世とこの世の境目で願い事をすると運が開ける(吉となる)と考えられてきた。

引接寺の「引接」は「引導を渡す」という意味で、死者を運びあの世へ送った場所を指す。埋葬で死者の魂が飛ぶと考えられ、それを抑えるために地蔵が置かれ、その地蔵は舟の形をしており、舟形地蔵と呼ばれた。これは、あの世へ舟に乗って行けるようにとの意味が込められている。引接寺は京の名所と町衆の姿を描いた国宝・洛中洛外図屏風に描かれている。

1563年、日本を訪れた宣教師ルイス・フロイスはこの寺の本尊・閻魔法王を見て、「身の毛もよだつ思いがした」と記録に残している。この閻魔像は死者を冥土に送るために作られたもので、嘘を見抜く目力と、嘘を付くことができない迫力があるが、参拝者の気持ちによって見える表情が異なるという。閻魔像は二重の扉の奥にあり、普段は全身を拝むことはできず、特別な行事の時だけ扉が開く。全長2.4m、大きな目には琥珀が埋め込まれている。広辞苑を出した博士・新村出(しんむら いずる)は、この閻魔像を見て、「どこやらに 慈相のありて 閻魔かな」という歌を残している。

閻魔様は、死者を裁く地獄の裁判で有名だが、「決してこれからは嘘を付かない」という時に使う仏教から生まれた言葉に「金輪際(こんりんざい)」がある。仏教において「金輪」とは地の奥底のことをいい、「金輪際」はその最も深い場所を指す言葉。「金輪際嘘を付きません」という言葉は地の底と同じぐらい深い誓いであることを意味する。

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カテゴリー「歴史・文化

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