関東大震災がきっかけで生まれた美容法:二重まぶた整形手術

1923年(大正12年)に発生した関東大震災は死者・行方不明者約10万人とかつてない被害が出たが、この地震がきっかけで日本人が世界初の美容法が誕生した。

長野県出身の天才眼科医・内田孝蔵(1881~1952)は関東大震災で被災した人たちの治療にあたった。震災では大火事がたくさん起きたため、顔に火傷を負った気の毒な人が多くいた。傷を治すのに何とかしてあげたいと容姿について考えていく中で、「美人とは何か」という研究を始めた。

当時は映画やファッションの流行で、西洋人の美への憧れが高まっていた時代。そんな西洋人の美人を研究をする中で、目に注目をした。西洋人が黒目が丸く見えているのに対し、日本人は黒目が完全に見えていない。そして、目が大きい美人は、二重まぶたである人が多いという結論に達した。関東大震災をきっかけに内田が世界で初めて考案したのは、二重まぶたの整形手術だった。

内田はアジア人特有の蒙古ひだという目頭の皮膚を取り除き、まぶたを二重にして目を大きくするW法という術式を考案した。戦前に書かれた内田の著書『整形のいろいろ』には自らが手がけた当時の術前術後の美容整形の写真が載っている。芸者・女優・俳優など男の人も整形手術を受けていた。

2016/9/29

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カテゴリー「歴史・文化

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