軍艦島は当時、日本の最先端のハイテク都市だった

長崎県にある世界文化遺産・軍艦島は、正式名称は端島(はしま)と言い、明治~昭和時代にかけて海底炭鉱で栄え、まるで戦艦のような形をしていることからその名が付いた。

とても多くの人が住んでおり、人口が最盛期を迎えた1960年(昭和35年)には人口5,267人、人口密度は83600人/km²で、当時の東京特別区の約9倍にもなり、今でも世界一の記録となっている。軍艦島で働く人の給料は過酷な仕事の分、当時の平均月収に比べてかなり高かった。1957年(昭和32年)の全国の白黒テレビの普及率が7.8%だったのに対し、軍艦島はなんと90%以上と日本一の普及率を誇っていた。また、島内には、病院や学校・神社・映画館などもあり、島の施設だけで何不自由ない生活ができる完全な都市だった。

2016/10/13

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カテゴリー「歴史・文化

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