織田信長は秀吉のことを「ハゲネズミ」と呼んでいた

一般的に豊臣秀吉のことを、その容姿から猿(サル)と呼ばれていたとされる。しかし、周りの人がサルと呼んでいた記録はあるが、信長が秀吉のことをサルと呼んでいた記録は残っていない。

秀吉は女好きで正室のおね(ねね、高台院)が秀吉の浮気を信長に訴えたら、おねを諭す手紙の中に、「あなたみたいな綺麗な人がそんなこと気にしてたらダメだ。この手紙をあの禿げ鼠(ハゲネズミ)に見せてやれ」という内容の記録がある。普段から呼んでいたかは不明だが、信長は秀吉のことを「サル」ではなく「ハゲネズミ」と呼んでいた。

ちなみに、部下にあだ名をつけていたといわれている信長は、明智光秀のことを果物の金柑とかけて「金柑頭」(んは読まず、きんかあたま)と呼んでいたという。

2017/9/5

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カテゴリー「歴史・文化

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