血液型の性格判断はたった11人のデータだった

血液型の性格判断は、相性判断や取扱説明書など度々ブームとなり多くのベストセラーを生み出してきたが、残念ながら科学的な信憑性はない。

血液型

A型は几帳面、B型はわがまま、O型はおおらか、AB型は変わり者などの分類がよくされるが、血液型の性格判断の根底を覆す事実がある。

例えば、1994年(平成6年)に発売された血液型の本ではプロ野球選手にO型が多いことから、「O型は運動能力が優れている」となっていたが、その10年後の2004年(平成16年)にプロ野球選手に多かったのはB型であった。そのくらい根拠の無いものである。

血液型の性格判断が広まった経緯

血液型の性格判断の発祥は日本とされている。1927年(昭和2年)に東京女子高等師範学校(現:お茶の水女子大学)の心理学者・古川竹二教授が親族11人を調査し、発表した「血液型による気質の研究」が原点となっている。この研究によるとA型は消極的、B型とO型は積極的、AB型は内面が消極的で外面が積極的でありA型とB型の両方の特徴を持つというものだった。

この研究のきっかけになったのはB型に関する「決めつけ」だった。1900年(明治33年)頃、各国ごとに血液型の調査が行われ、西洋人より東洋人の方がB型が多いことが判明した。ゴリラやウシなどの動物でB型の血液型が多く、ドイツ人でハイデルベルク大学・ガン研究所のエミール・フォン・デュンゲルン(Emil von Dungern)教授は「B型が多い東洋人は野蛮だ」という心無い発表をした。

これを知った古川教授は「B型にも優れた部分はある」ということを示そうと考えた。そこで性格をよく知る親族11人を調査した。その方法は、親族にいくつかの質問し、その答えだけで性格が積極的か消極的かを判断するというものだった。そして、積極的な人と消極的な人をグループ分けし、偶然にもA型は消極的な性格、B型とO型は積極的な性格という結果になった。しかし、この時大きな問題があり、親族にAB型がいなかった。その後、AB型の追加調査を行い、血液型の性格判断を発表した。

そして、その50年後の1973年(昭和48年)に古川教授の研究を基にしたと言われる文筆家・能見正比古の「血液型人間学」が発売されると「血液型占い」などと呼ばれ、爆発的に広まり大ブームとなった。血液型の性格判断は元はたった11人のデータであり、古川教授の発表から100年近く経った現在でも、血液型の性格判断に科学的な根拠は無いと言える。

ちなみに、日本人の血液型は一般的にA型が40%、B型が20%、O型が30%、AB型が10%と言われており、世界的な血液型の割合とほぼ変わらない。しかし、ブラジルやペルーではほぼ100%の人がO型であり、全員同じになるため血液型の性格判断が出来ない。

2018/1/5

このエントリーをはてなブックマークに追加

カテゴリー「生活・科学

関連記事