鎌倉幕府第3代将軍で歌人の源実朝(みなもと の さねとも)の1219年(建保7年)の忌日。
この日には、実朝の墓と伝わる五輪塔がある鎌倉の寿福寺で歌人たちによる追悼会が催される。
1192年(建久3年)に鎌倉幕府を開いた源頼朝の嫡出の次男として生まれ、兄の頼家が追放されると12歳で征夷大将軍に就く。政治は始め執権を務める北条氏などが主に執ったが、成長するにつれ関与を深めた。
官位の昇進も早く武士として初めて右大臣に任ぜられるが、その翌年に鶴岡八幡宮で頼家の子公暁に暗殺された。これにより鎌倉幕府の源氏将軍は断絶した。
歌人としても知られ、92首が勅撰和歌集に入集し、小倉百人一首にも選ばれている。家集として『金槐和歌集』がある。小倉百人一首では鎌倉右大臣とされている。