漫画本専門の古書店「まんだらけ」が「漫画の日」を制定。
この日は、漫画家・アニメーション作家の手塚治虫(てづか おさむ)の1989年(平成元年)の忌日。そのため、この日は「治虫忌」とも呼ばれる。
関連する記念日として、7月17日も「漫画の日」となっている。また、国民の祝日「文化の日」と手塚治虫の誕生日に由来して11月3日は「まんがの日」、日本初の少年向け週刊誌『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』が発刊された日に由来して3月17日は「漫画週刊誌の日」となっている。
手塚治虫は、1928年(昭和3年)11月3日に現在の大阪府豊中市に生まれる。本名は治。明治天皇の誕生日「明治節」に生まれたことから「明治」にちなんで「治」と名付けられた。また、少年の頃から昆虫をこよなく愛し、自身のペンネームに「虫」という字を当てた。
大阪帝国大学附属医学専門部在学中の1946年(昭和21年)1月1日に『少国民新聞』連載の4コマ漫画『マアチャンの日記帳』で漫画家としてデビュー。翌1947年(昭和22年)、酒井七馬原案の描き下ろし単行本『新宝島』がベストセラーとなり、大阪に赤本ブームを引き起こす。
1950年(昭和25年)より漫画雑誌に登場、『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『リボンの騎士』といったヒット作を次々と手がけた。60歳で死去。そのほかの代表作に『火の鳥』『ブッダ』『ブラック・ジャック』『三つ目がとおる』『アドルフに告ぐ』などがある。
デビューから死去まで第一線で作品を発表し続け、存命中から「マンガの神様」と評された。また、藤子不二雄(藤子・F・不二雄、藤子不二雄A)、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、横山光輝、水野英子、矢代まさこ、萩尾望都などをはじめ数多くの人間が手塚に影響を受け、接触し漫画家を志した。
まんだらけは、1980年(昭和55年)、『ガロ』などに執筆していた漫画家・古川益三が、東京都中野区にある中野ブロードウェイに開店したのが始まりである。その後、中野ブロードウェイ内で店舗を増やし、中野ブロードウェイを日本屈指のおたくビルへと変貌させるきっかけを作った。
100円の特価本から数百万円の稀少品まで、漫画・サブカルチャー分野をはじめとする、ありとあらゆるマニアが好みそうなグッズ類が集まり「まんだらけにない物はない」とも言われている。