「西行忌」は、平安後期の歌人・西行法師(さいぎょうほうし)の1190年(文治6年)の忌日(旧暦)。法名の円位(えんい)から「円位忌」ともされる。
実際に亡くなったのは旧暦2月16日であるが、「願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」の歌より、2月15日が忌日とされている。
1118年(元永元年)、武家に生まれる。武士であり、僧侶、歌人でもある。俗名は佐藤義清(さとう のりきよ)。出家して法号は円位、後に西行、大本房、大宝房、大法房とも称す。
鳥羽院(とばいん)に北面武士(ほくめんのぶし:身辺を警衛する武士)として仕えるが、23歳で出家。平清盛(たいら の きよもり)・平時忠(たいら の ときただ)、崇徳院(すとくいん)・徳大寺実能(とくだいじ さねよし)らと交わる。
仏道修行、和歌に励み、諸国を遍歴(へんれき:広く各地を巡り歩くこと)。仏教観を基として独自の抒情歌(じょじょうか)を確立。72歳で死去。
和歌は約2300首が伝わる。『新古今集(しんこきんしゅう)』に94首が収められ、家集に『山家集(さんかしゅう)』など。その逸話や伝説を集めた説話集に『撰集抄(せんじゅうしょう)』『西行物語』がある。