歌人・木下利玄(きのした りげん)の1925年(大正14年)の忌日。
1886年(明治19年)1月1日に現在の岡山県岡山市北区に生まれる。本名は利玄(としはる)。東京帝国大学国文科を卒業。東大在学中は佐佐木信綱に師事し短歌を学び、竹柏会門下の逸材と呼ばれる。
同級の武者小路実篤や志賀直哉らと文芸雑誌『白樺』を創刊。白樺派の代表的歌人の一人となる。北原白秋・島木赤彦にも影響を受け、歌集『銀』『紅玉』を発表。その後、『日光』『不二』同人として作歌を続け、その短歌は彼の没後高い評価を受けるに至った。
肺結核のため39歳で死去。その他の歌集に『一路』『立春』『李青集』などがある。彼の短歌は口語的な発想・俗語の駆使・四四調の破調などを特徴とし、利玄調と呼ばれた。