鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての歌人・随筆家の吉田兼好(よしだ けんこう)の1350年(正平5年)の忌日。
ただし、忌日については諸説あり確定していない。1352年(正平7年)にはまだ存命だったという説もある。
1283年(弘安6年)頃に生まれたとされる。本名は卜部兼好(うらべ かねよし)。一般に「吉田兼好」と呼ばれているが、これは兼好の生家・卜部家が京都・吉田神社の神官をしており、その子孫が吉田姓を名乗ったためであり、江戸時代以降に吉田兼好と通称されるようになった。
また出家したことから兼好法師(けんこうほうし)とも呼ばれ、中学校国語の検定済み教科書ではすべて「兼好法師」と表している。日本三大随筆の一つとされる『徒然草』の作者であり、また私家集に『兼好法師家集』がある。