昭和時代の小説家・評論家の坂口安吾(さかぐち あんご)の1955年(昭和30年)の忌日。
この日には、東京都千代田区一ツ橋にある如水会館や、新潟県新潟市の墓前で「安吾忌」が行われる。
1906年(明治39年)10月20日に現在の新潟市中央区に生まれる。本名は炳五(へいご)。「炳五」の名前は「丙午」年生まれの「五男」に由来する。
また、中学生の時、勉強をしない炳五に漢文の教師が、「お前なんか炳五という名は勿体ない。自己に暗い奴だからアンゴと名のれ」と黒板に「暗吾」と書いたという話があり、これが「安吾」の由来とされる。
東洋大学印度哲学倫理学科を卒業。1931年(昭和6年)、『風博士』『黒谷村』が牧野信一、宇野浩二らに認められ文壇に登場。その後、失恋による空白を経て、1942年(昭和17年)の『日本文化私観』『青春論』などの随筆で復帰した。
戦後、旧来の道徳観を否定した評論『堕落論』(1946年)、小説『白痴』(1946年)、『青鬼の褌を洗う女』(1947年)などを発表。戦後社会の混乱と退廃を反映する独自な作風を樹立し、流行作家となる。また、偽善より堕落をよしとする野人精神を発揮して、太宰治、織田作之助、石川淳らとともに「無頼派」「新戯作派」と呼ばれた。
脳出血により48歳で死去。その他の作品に歴史小説『道鏡』(1947年)、短編小説『桜の森の満開の下』(1947年)、推理小説『不連続殺人事件』(1947年)、文明批評的随筆『安吾巷談』(1950年)などがある。
リンク:Wikipedia、コトバンク、 坂口安吾デジタルミュージアム、如水会館、新潟市