大正・昭和時代の小説家・歌人・仏教研究家である岡本かの子(おかもと かのこ)の1939年(昭和14年)の忌日。
1889年(明治22年)3月1日に東京市赤坂区青山南町(現:東京都港区南青山)で生まれる。本名はカノ。跡見女学校を卒業。芸術家・岡本太郎の母でもある。
女学校在学中の17歳の頃、与謝野晶子を訪ね「新詩社」の同人となり、「明星」や「スバル」から大貫可能子の名前で新体詩や和歌を発表するようになる。21歳で漫画家・作詞家の岡本一平と結婚し、翌年に長男の太郎を出産する。
夫との性格的対立に悩み続け、仏教研究に入る。この間、「青鞜」に参加し、歌集『かろきねたみ』などを刊行。1936年(昭和11年)に芥川龍之介をモデルにした小説『鶴は病みき』を発表。以後、作家として活躍する。
49歳で死去。その他の作品に小説『母子叙情』『老妓抄』『河明り』『生々流転』などがある。小説家として実質的にデビューをしたのは晩年であったが、生前の精力的な執筆活動から、死後多くの遺作が発表された。耽美妖艶の作風を特徴とする。