昭和時代前期のプロレタリア作家・小林多喜二(こばやし たきじ)の1933年(昭和8年)の忌日。
1903年(明治36年)12月1日に現在の秋田県大館市に生まれる。小樽高等商業学校(現:小樽商科大学)を卒業。初め志賀直哉、ドストエフスキーらに傾倒して小説家を志す。
後に労働運動、社会主義思想に接近し、プロレタリア文学運動の地方組織に参加。特高警察の拷問と、それに耐える党員労働者の人間像を描いた『一九二八年三月十五日』(1928年)で認められ、『蟹工船』『不在地主』(1929年)、『工場細胞』(1930年)などを発表する。
一方で、1929年(昭和4年)に勤めていた銀行を解雇され、1930年には不敬罪などで入獄。日本プロレタリア作家同盟の書記長に選ばれた1931年に共産党に入党するが、1933年には党活動中に再逮捕され拷問により虐殺された。29歳。その他の作品に『党生活者』(1932年)などがある。