安土桃山時代の茶人・千利休(せん の りきゅう)の1591年(天正19年)の忌日。
法名の宗易(そうえき)から「宗易忌」ともされる。現在、「利休忌」は3月27日・28日に京都・大徳寺で行われ、法要と茶会が開催される。
1522年(大永2年)に和泉国・堺の商家に生まれる。幼名は田中与四郎、後に法名を宗易、抛筌斎(ほうせんさい)と号す。千家流茶道の開祖。茶聖とも称される。
広く知られた利休の名は、1585年(天正13年)の禁中茶会(宮中での茶会)にあたって町人の身分では参内できないために正親町天皇から与えられた居士号(こじごう)である。
初め茶の湯を北向道陳(きたむき どうちん)に学び、後に武野紹鴎(たけの じょうおう)に師事する。茶器や道具に工夫を凝らし、極限まで無駄を省くわび茶(草庵の茶)の完成に努める。
織田信長・豊臣秀吉の茶頭(さどう)として仕え、茶人としての地位を確立する。しかし、後に秀吉との関係に不和が生じ、最後には切腹を命じられ、自刃した。享年70。切腹を命ぜらるに至った真相については諸説あって定まっていない。