寛忌(3月6日 記念日)

小説家・劇作家・実業家の菊池寛(きくち かん)の1948年(昭和23年)の忌日。

菊池寛

菊池寛について

1888年(明治21年)12月26日に香川県高松市に生まれる。本名は寛(ひろし)。京都帝国大学英文科を卒業。イギリスの近代戯曲を学ぶ。

芥川龍之介・久米正雄らと第3次・第4次『新思潮』同人となる。戯曲『屋上の狂人』『父帰る』を発表するが認められず、『時事新報』の記者となる。

1918年(大正7年)の小説『無名作家の日記』以後、『忠直卿行状記』『恩讐の彼方に』『真珠夫人』などで一躍流行作家となる。1923年(大正12年)に雑誌『文藝春秋』を創刊・主宰する。

また、文芸家協会を設立、芥川賞・直木賞を創設するなど作家の社会的地位の向上にも貢献した。狭心症により59歳で死去。その他の作品に小説『藤十郎の恋』『入れ札』『蘭学事始』などがある。

寛が創設した菊池寛賞は、もとは年配の作家の業績をたたえるための文学賞であったが、現在では日本文学振興会が主催する、文芸・映画など様々な文化分野において業績をあげた個人や団体を表彰する賞となっている。

リンクWikipediaコトバンク

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カテゴリー「3月の記念日」「今日は何の日

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