俳人・西東三鬼(さいとう さんき)の1962年(昭和37年)の忌日。
この日は「西東忌」ともされる。
1900年(明治33年)5月15日に現在の岡山県津山市南新座に生まれる。本名は斎藤敬直(さいとう けいちょく)。家は代々漢学者の家系。日本歯科医学専門学校(現:日本歯科大学)を卒業。
1933年(昭和8年)、医師業のかたわら、外来の患者の誘いにより俳句を始める。「三鬼」の号はこの時に即座のでたらめで作ったとされ、「サンキュー」のもじりだとする文章もある。
三谷昭らによって創刊されたばかりの新興俳句系の俳誌『走馬燈』に投句。また、『青嶺』『天の川』『ホトトギス』『馬酔木』『京大俳句』など各誌に投句。これらの投句先は新興俳句系・伝統系さまざまであり、三鬼が特定の師につく考えがなかったことが分かる。
1935年(昭和10年)に同人誌『扉』を創刊。新興俳句運動の中心となる。1940年(昭和15年)に新興俳句総合誌『天香』を創刊。京大俳句弾圧事件で検挙され、執筆を禁じられる。
戦後の1948年(昭和23年)に山口誓子を擁し俳誌『天狼』を創刊。1952年(昭和27年)に『断崖』を創刊・主宰。1961年(昭和36年)、胃癌を発病。年末に俳人協会の設立に参加。61歳で死去。1992年(平成4年)、故郷津山市で三鬼の業績を記念し「西東三鬼賞」が創設された。
代表作「水枕ガバリと寒い海がある」で知られ、句集に『旗』(1940年)、『夜の桃』(1948年)、『今日』(1952年)、『変身』(1962年)など。津山市内に「枯蓮のうごく時来てみなうごく」「花冷えの城の石崖手で叩く」などの句碑がある。