1792年のこの日、フランス議会でギロチンが正式に処刑道具として認められた。
当時はフランス革命後の恐怖政治により、毎日何百人もの人が処刑されていた。そこで、内科医で国民議会議員だったジョゼフ・ギヨタン(Joseph Guillotin)が、受刑者に無駄な苦痛を与えず、しかも身分や貧富に関係せずに名誉ある斬首の刑が適用できる、「単なる機械装置の作用」によって「人道的」な処刑を行うよう議会で提案し、その案が採択された。
外科医のアントワーヌ・ルイ(Antoine Louis)が設計の依頼を受けて、各地の断頭台を研究し、刃を斜めにするなどの改良を加えた。このため当初は、ルイの名前をとって「ルイゾン(Louison)」や「ルイゼット(Louisette)」の名称で呼ばれていた。
しかし、この装置の人間性と平等性を大いに喧伝したギヨタンの方が有名になり、ギヨタンから名前をとった「ギヨチーヌ(Guillotine)」という呼び名が定着した。ギロチンはその英語読みであるギロティーンが訛ったものである。
ギヨタンはこの不名誉な名称に強く抗議したが、以後も改められることはなかったので、家族は姓を変えた。フランスでは1981年9月に死刑制度が廃止され、それとともにギロチンの使用もなくなった。
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