岩手県宮古市の市民有志で結成され、宮古の知名度の向上、観光の振興などを目指す宮古海戦組が制定。
「宮古港海戦」は1869年5月6日(明治2年3月25日)、戊辰戦争の終盤、箱館戦争の一幕となった海戦である。旧幕府軍が新政府軍の軍艦を奪い取るという一大作戦で「日本初の洋式海戦」としてその名を歴史に残している。宮古港開戦を通じて宮古のことを多くの人に知ってもらうのが目的。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
この海戦は、盛岡藩宮古村(現:宮古市)沖の宮古湾で発生した。海上戦力で新政府軍に対して劣勢に立たされていた旧幕府軍は、新政府軍の主力艦である甲鉄への斬り込みによってこれを奪取する作戦を決行したが、失敗に終わった。これはアボルダージュ(フランス語:Abordage、英語:Boarding)と呼ばれるいわゆる接舷攻撃で、敵艦に乗り込みこれを奪い取るという近代以降では世界でも数少ない戦闘事例である。
旧幕府軍は多数の死傷者を出し、退却。箱館戦争の雌雄はここに決したと言える。この後、1869年6月27日(明治2年5月18日)に五稜郭陥落。1年5ヵ月にわたる戊辰の役に終止符が打たれ、日本全土が明治政府の統制下に入った。
江戸を離れ、遠く蝦夷の地に独立国を建設しようとした旧幕臣たちの夢物語は、宮古の海に砕け散った。その壮絶な戦いを偲んで、宮古市にある浄土ヶ浜のお台場展望台入口に「宮古港海戦記念碑」が、また湾内を一望できる臼木山には「宮古港海戦解説碑」が建てられている。