ふりかけを国内外に広める活動を行っている一般社団法人・国際ふりかけ協議会(International Furikake Association:IFA)が制定。
日付は「ふりかけの元祖」とされる熊本県の薬剤師・吉丸末吉氏の誕生日が1887年(明治20年)5月6日であることから。大正時代、吉丸氏は当時の日本人のカルシウム不足を補う方法として、魚の骨を砕いてご飯にかけて食べることを考案した。その吉丸氏の存在を知らせるとともに、「ふりかけ」という食文化の発展が目的。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
同協議会では、全国の美味しいご当地ふりかけが大集合するイベント「全国ふりかけグランプリ」を開催するなどの活動を行っている。
「ふりかけ」の起源については、美味滋養を目的として大正時代から昭和初期にかけて数ヵ所で考案されたといわれており、業界団体の「全国ふりかけ協会」では、熊本県で売り出されたビン入りの「御飯の友」という商品を、「ふりかけの元祖」として認定している。この「御飯の友」は、薬剤師・吉丸末吉氏によって熊本で考案され作られた。
当時、食料不足の時代背景の中、ふりかけはカルシウム不足を補うためのものだった。小魚を乾燥させ、粉末にして調理し、青のり・ごまなどを加えて、美味しく食べられるように加工。乾燥を防ぐために口の狭いビンに入れてコルク栓をして蝋(ろう)で固着。
これが最初のふりかけ「御飯の友」である。戦時体制下では栄養食品であるふりかけの軍納は強制であり、「御飯の友」も貴重な軍納品だった。
ふりかけが大人向けの高級食材から、子供にも受け入れられる大衆向け食材へと変わったのは、第二次世界大戦後に丸美屋食品工業が海苔と甘みのある卵を使った「のりたま」を開発したことがきっかけである。「のりたま」は1960年(昭和35年)に発売されて以降、子供向けふりかけとして高い人気を得ている。