ロシアの小説家・劇作家であるアントン・チェーホフ(Anton Chekhov)の1904年(明治37年)の忌日。
アントン・チェーホフは、ロシアを代表する劇作家であり、多くの優れた短編を残した小説家である。
1860年(安政7年)1月29日、ロシアの南西部に位置するタガンログに生まれる。父は雑貨店を経営。1876年に一家は破産し、夜逃げしてモスクワに移住。しかし、アントンだけがタガンログに残ってタガンログ古典科中学で勉学を続ける。
モスクワ大学医学部に入学。勉学の傍らで、ユーモア短編を新聞や雑誌に書き、家族を養う。1884年に大学を卒業した後、医師としても活躍。本格的な長編を書き、1887年の戯曲『イワーノフ』の上演で劇作家としての地位を確立する。
1890年、結核の身で当時は流刑地のサハリン(樺太)に渡り、旅行記『サハリン島』(1895年)を書く。1901年、女優オリガ・クニッペルと結婚。1904年7月15日、肺結核のため死去。44歳。
モスクワにあるノヴォデヴィチ墓地に埋葬。また、タガンログにあるチェーホフの生家は記念館として保存されている。
その他の作品として、短編小説に『退屈な話』(1889年)、『六号室』(1892年)、『可愛い女』(1898年)、『犬を連れた奥さん』(1899年)、チェーホフの四大戯曲と呼ばれる『かもめ』(1896年)、『ワーニャ伯父さん』(1899年)、『三人姉妹』(1901年)、『桜の園』(1904年)などがある。