蕃山忌(8月17日 記念日)

江戸時代前期の儒学者・熊沢蕃山(くまざわ ばんざん)の1691年(元禄4年)の忌日(旧暦)。

熊沢蕃山

熊沢蕃山について

1619年(元和5年)、京都稲荷(現:京都府京都市下京区)に6人兄弟の長男として生まれる。本姓は野尻。名は伯継(はくけい)。字は了介(りょうかい)。別号に息遊軒・有終庵主。儒学者またはその一学説の陽明学者とされる。

8歳の時、母方の祖父の養子となり熊沢姓を名乗ることになる。備前国岡山藩主・池田光政(いけだ みつまさ)の信任を得て家老となり、藩政を指導する。その間、中江藤樹(なかえ とうじゅ)に陽明学を学ぶ。後に朱子学も兼学する。

岡山藩では治山・治水・救民などに治績をあげ、1657年(明暦3年)に38歳で隠退。その後、京都に移り私塾を開くが、有名になるにつれ中傷も激化し、大和国吉野山(現:奈良県吉野町)や山城国鹿背山(かせやま、現:京都府木津川市)などを転住する。

1687年(貞享4年)、著書『大学或問(だいがくわくもん)』で幕政を批判したとされ、68歳の高齢にもかかわらず、下総国古河(しもうさのくに こが、現:茨城県古河市)で禁錮の処罰を受ける。ただし、蕃山の治山・治水の技術は古河藩でも頼りにされ、家老や藩士に指導することもあり、また比較的自由に領内を歩き回れたという情報もある。

1691年(元禄4年)、病気のため古河城内で死去。72歳。その他の著書に『集義和書』『集義外書』『源氏外伝』などがある。蕃山の儒学は朱子学と陽明学の折衷的なものであり、中国の思想家・老子(ろうし)の影響も見られる。

リンクWikipediaコトバンク

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カテゴリー「8月の記念日」「今日は何の日

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