1915年(大正4年)のこの日、大阪府の豊中球場(豊中グラウンド)で第1回「全国中等学校優勝野球大会」が開会した。
地区予選を勝ち抜いた10校が参加し、同年の8月22日に決勝戦が行われた。京都二中と秋田中との対決で、2-1で京都二中が優勝した。
1924年(大正13年)の第10回大会から兵庫県西宮市にある阪神甲子園球場が会場になり、戦後の学制改革を受けて1948年(昭和23年)の第30回大会から名称が「全国高等学校野球選手権大会」となった。現在では「夏の甲子園」「夏の高校野球」「夏の選手権」などとも呼ばれている。
大会の主催は、朝日新聞社と日本高等学校野球連盟(高野連)。全地方大会の出場校数は3500校前後となっている。開幕試合の始球式は、朝日新聞社のヘリコプターからボールが投下される。
それぞれのチームで最後の試合が終わった後に、甲子園の土を拾って持ち帰ることが伝統となっている。1、2年生の中にはもう一度戻ってくるという意味を込めて持ち帰らない人もいる。敗者の儀式として有名であるが優勝校も持ち帰る。なお、土は定期的に補充されているため枯渇することはない。