明治~昭和時代前期の小説家・泉鏡花(いずみ きょうか、1873~1939年)の忌日。
秋の季語。
1873年(明治6年)11月4日、石川県金沢市下新町に生まれる。本名は鏡太郎(きょうたろう)。父・清次は象眼細工・彫金などの錺(かざり)職人、母・鈴は江戸葛野流の鼓打ちの娘。鏡花文学には父方の工芸と母方の芸能の両方が影響を与えている。
1882年(明治15年)、母が次女を出産後に29歳の若さで死去。鏡花は幼心に強い衝撃を受け、亡き母への想いは作品の主要なテーマの一つとなる。金沢のミッション・スクール北陸英和学校に学ぶが、1887年(明治20年)に中退。
小説家を志して上京、1891年(明治24年)に尾崎紅葉(おざき こうよう)の門下となる。1895年(明治28年)、『夜行巡査(やこうじゅんさ)』『外科室(げかしつ)』を発表して観念小説の新進作家として認められる。
以後は浪漫(ロマン)的な作風に転じ、『照葉狂言(てりはきょうげん)』(1896年)や『湯島詣(ゆしまもうで)』(1899年)などで女性への思慕を、『高野聖(こうやひじり)』(1900年)で幻想と神秘の世界を、『歌行燈(うたあんどん)』(1910年)で芸道の神髄を叙し、独自の存在を示す。
1906年(明治39年)頃より活発になる自然主義の隆盛におされて文壇的に不遇となるが、その作風は後の多くの作家に影響を与えている。1939年(昭和14年)9月7日、癌性肺腫瘍のため東京市麹町区下六番町(現:東京都千代田区六番町)の自宅で死去。65歳。
墓は東京都豊島区南池袋の雑司ヶ谷霊園にある。その他の作品として、小説『婦系図(おんなけいず)』(1907年)、『薄紅梅(うすこうばい)』(1937年)、『縷紅新草(るこうしんそう)』(1939年)、戯曲『夜叉ヶ池(やしゃがいけ)』(1913年)などがある。
没後の1973年(昭和48年)、生誕100年を記念して泉鏡花文学賞が制定された。1999年(平成11年)、金沢の生家跡に泉鏡花記念館が開館し、鏡花の遺品や自筆原稿、作品資料などが展示されている。