東京都新宿区神楽坂に事務局を置き、留学業界の健全なる成長を目指し、留学に関わる様々な事業を行う一般社団法人・海外留学協議会(JAOS)が制定。
日付は1871年(明治4年)11月12日(旧暦)に山川捨松(やまかわ すてまつ、1860~1919年)や津田梅子(つだ うめこ、1864~1929年)など日本初の女性国費留学生5人が、岩倉使節団とともに留学先のアメリカへ出発したことから。男性だけでなく女性にも機会が与えられたことから、留学が本格的に日本人に開放された象徴的な日としている。
留学経験を通じてグローバルに活躍し、日本に貢献する人材を多く輩出するため、記念日をきっかけに留学の啓蒙をしていくことが目的。記念日は2022年(令和4年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
海外留学協議会(Japan Association of Overseas Studies:JAOS)は1991年(平成3年)に設立された団体で、留学の啓蒙や留学事業者のガイドライン制定、留学カウンセラーの教育など様々な活動を推進している。
2008年(平成20年)に一般社団法人格を取得。世界の留学事業者団体によって構成されたFELCAに加盟し、日本代表として日本の留学事情を発信し、日本人留学生の海外での受け入れ環境の整備を促進している。
同協議会に属するイベント&組織活性化委員会は、この「留学の日」を記念するため、日本において留学の素晴らしさを広めてくれた個人や団体を顕彰する「JAOS留学アワード」というイベントの企画や運営を行う。
上記の山川捨松は、日本の華族・教育者で、日本最初の女子留学生の一人であり、大学を卒業して学士号を得た最初の日本人女性でもある。元老となった大山巌(おおやま いわお、1842~1916年)の妻としての立場を通じ、看護婦教育・女子教育への支援に尽力した。
津田梅子は、日本の女子教育家で、同じく日本最初の女子留学生の一人。女子英学塾(現:津田塾大学)の創設者であり、日本における女子教育の先駆者と評価される。また、欧米の学術雑誌に論文が掲載された最初の日本人女性でもある。
当時、アメリカに男女の若者を留学生として送ることを提案したのは、アメリカ視察旅行から帰国した北海道開拓使の次官・黒田清隆(くろだ きよたか、1840~1900年)である。未開の地を開拓する方法や技術など、北海道開拓に有用な知識を学ばせるためだった。
黒田はアメリカ訪問時に西部の荒野で男性と肩を並べて汗をかくアメリカ人女性にいたく感銘を受け、男女平等・女子教育の必要性を実感し、留学生の募集を例のない「男女」若干名とした。留学生として日本を出国した際、山川は当時11歳、津田は6歳だった。