浅草に芋スイーツが多いのは川越の下流だから

浅草には、大学芋や芋ようかんなど芋スイーツが数多くある。例えば、創業100年の老舗である舟和の芋ようかんや、創業140年の興伸の大学いもなど、芋スイーツ店は浅草寺エリアに約20店舗もある。

なぜ浅草にはこんなにも芋スイーツのお店が多いかと言うと、浅草は隅田川沿いであるから。サツマイモの産地である埼玉県川越から新河岸川、荒川、隅田川とサツマイモを船で大量に運搬していたことに由来する。川越の土地はすぐ乾く赤土を含んだ関東ローム層でサツマイモの栽培に適していた。

明治時代の浅草は日本橋に一番近い船着き場であり、北関東から米や芋などの特産品が運び込まれていた。そして、まず浅草に芋の問屋ができ、大量のサツマイモが扱われるようになり、その名残りで芋スイーツを売るお店が多い。最盛期には約70軒の芋問屋が立ち並び、多くの芋が販売されていた。今でも日本で唯一の芋問屋である川小商店が残っている。ちなみに、サツマイモを使った芋ようかんは浅草が発祥と言われている。浅草へとやってきた船は、江戸の特産品である海苔や貝などを持ち帰り、川越で販売をしていた。

江戸と川越は双子のようなもので、江戸時代以前は川越の方が大都市で、人口も多かった。平安時代に河越氏が今の川越城あたりで勢力を持っていた。その同じ一族で武蔵の国を支配していたのが江戸氏であった。室町から戦国時代に太田道灌(どうかん)とその父である資清(すけきよ)が川越城と江戸城を造り、その間を川越街道で結んだ。今では川越は「小江戸」と言われている。

関連記事

2016/10/1

このエントリーをはてなブックマークに追加

カテゴリー「歴史・文化

関連記事