1878年(明治11年)創業の老舗ホテルで、日本初の本格的なリゾートホテルである富士屋ホテル。チャップリンやヘレン・ケラーなど海外の著名人が宿泊してきた。
富士屋ホテルにはチャップリンズルームがあり、これは1932年(昭和7年)に「喜劇王」の異名をもつチャップリン(1889~1977年)が初来日した際に実際に宿泊した部屋である。その際、チャップリンはトレードマークのヒゲを剃っていたため、取材に来ていた報道陣に気付かれずにゆっくり過ごすことができたという。
海外の著名人が愛した理由が独特な建築様式にある。屋根は神社やお城などに用いられる千鳥破風や唐破風など日本ならではの造りが施され、館内の至る所に和の彫刻が施されている。一方、入り口には日本最古の回転扉があり、さらに内観はモダンな雰囲気が漂う外国のような空間になっている。和の要素だけでなく西洋の文化をいち早く取り入れ、1997年(平成9年)に登録有形文化財に指定されている。
また、外国人客のための工夫が至る所に施されている。当時、船で数ヵ月もかけて来る外国人の荷物の量に合わせてクローゼットは広く設計されている。さらに身長の高い外国人のためにドブノアの位置を日本の平均より10cmも高く設置するなど、創業当時から徹底して外国人仕様にこだわってきた。
そんな富士屋ホテルは当時ほとんどいない外国人のために、創業者・山口仙之助(1851~1915年)は1893年(明治26年)から1912年(大正元年)の20年間も日本人の宿泊を禁止していた。
開国当時の日本には外国から多くの人が来たが、それと同時に日本の金が海外に流出していた。何とか外貨を獲得したいという思いがあり、山口は富士屋ホテルについて「外国人の金を取るをもって目的とす」という言葉を残している。
自分のホテルに外国人に来てもらうために、箱根のライバルである奈良屋旅館と話をして、「富士屋ホテルは外国人専用にしたいので、外国人は全て富士屋ホテルに回してほしい。その代わり、日本人は全て奈良屋旅館に回す。この条件を受け入れてくれるなら毎年報酬を支払う」という約束を取り交わした。これにより富士屋ホテルには多くの外国人が宿泊するようになった。
富士屋ホテルは、アインシュタイン博士が愛した日光金谷ホテルや避暑地・軽井沢の草分け的存在の万平ホテルなどと共に「クラシックホテル」と称され、今もなお愛され続けている。ちなみに、箱根の奈良屋旅館は1700年代に創業し、2001年(平成13年)にやむなく廃業し、現在ではカフェとして存続している。
リンク:富士屋ホテル
2017/8/6
カテゴリー「歴史・文化」