「新聞4コマ漫画」誕生の歴史

現在の新聞には「4コマ漫画」が掲載されていることが多いが、新聞4コマ漫画は日本で大正時代から続く文化である。

日本において、昔から滑稽な絵というものはあったが、コマ割りした漫画は新聞から生まれたという。現在のような日刊新聞が生まれたのは1871年(明治3年)のことで、最初の日刊新聞は『横浜毎日新聞』とされる。

当時の新聞は活字ばかりで、絵といえば記事を説明するための「挿絵」だけであった。その後、より多くの人に新聞を読んでもらうために、挿絵とは別に活字を読まなくても一目で意味が分かる面白さや滑稽さを加えた絵が新聞に掲載されるようになった。

これが「漫画」と呼ばれるようになり、当時は主に大人の男性が読むものだった新聞は、徐々に女性や子ども達にとっても身近な存在になっていった。

そして、1923年(大正12年)10月20日に『東京朝日新聞』において、日本で初めての4コマ漫画の連載が始まった。最初の新聞4コマ漫画は『正チャンの冒険』(しょうちゃんのぼうけん)であり、画・樺島勝一(かばしま かついち、1888~1965年)と作・織田小星(おだ しょうせい、1889~1967年)による作品である。

正チャンの冒険

主人公の勇敢な少年「正チャン」と相棒の「リス」が時空を超えた様々な世界を冒険をするという物語である。現在の新聞4コマ漫画のように1話完結ではなくストーリーが続く連載ものであった。また、西洋的なセンスにあふれた絵柄と童話を思わせる幻想的な物語で、当時の読者に大人気となった。

正チャンのトレードマークである、大きなボンボンが頭上についた毛糸の帽子は「正チャン帽」と呼ばれ、子ども達の間で流行し、社会現象にもなった。同年の1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災の傷痕がまだ生々しく残る時期に連載が開始されたこの4コマ漫画は、暗い記事が多い中で、すさんだ気持ちを和ませ、人々の癒やしとなった。

『正チャンの冒険』以後も、人々の気持ちを和ませる存在として、新聞に4コマ漫画が掲載されるようになった。そして、『サザエさん』(長谷川町子:はせがわ まちこ)や『フクちゃん』(横山隆一:よこやま りゅういち)、『アサッテ君』(東海林さだお:しょうじ さだお)、『コボちゃん』(植田まさし:うえだ まさし)など数多くのヒット作が誕生した。

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2020/8/14

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カテゴリー「歴史・文化

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