かつてオリンピックには芸術競技があった

近代オリンピックは世界的なスポーツ大会であり、様々なスポーツ競技が実施されてきた。そんな中で過去には芸術作品の順位を競う「芸術競技」もあった。

芸術競技が正式な競技として実施されたのは、1912年(明治45年)のストックホルム大会から1948年(昭和23年)のロンドン大会まで合計7回である。その競技種目は絵画、彫刻、文学、建築、音楽の5種で、スポーツを題材にした芸術作品を制作し、採点により順位を競うものだった。

古代オリンピックは神を讃えるという信仰的要素が強いものであり、その点でスポーツは強く美しい肉体で神を表現することから生まれた。そして、芸術表現も同じく神を表現する一つの手段だった。

また、近代オリンピックにおいてもその理念として「肉体と精神の向上の場」が掲げられており、近代オリンピックの基礎を築いたピエール・ド・クーベルタン男爵(Pierre de Coubertin、1863~1937年)の希望もあり芸術競技が採用された。

クーベルタン男爵は「お互いの多様な文化を理解するために、”平和な世界を築き上げる”という近代オリンピックの精神を実現するために、”オリンピック”と”芸術”は深く関わり合っている」とその思想を提唱した。

1936年(昭和11年)のベルリン大会では、絵画部門において、油彩作品「氷上ホッケー(アイスホッケー)」を描いた日本画家・藤田隆治(ふじた りゅうじ、1907~1965年)と、水彩作品「古典的競馬」を描いた日本画家・鈴木朱雀(すずき すじゃく、1891~1972年)の2人が銅メダルを獲得した。

氷上ホッケー
氷上ホッケー(藤田隆治)

その後、芸術競技が正式な競技から外れた理由としては、美術作品の移動に関してスケジュールの調整や品質の管理が難しいこと、客観的な基準をもって採点を行うことが困難なことが挙げられる。

1952年(昭和27年)のヘルシンキ大会以降は、オリンピック精神に則り競技ではなく「文化プログラム」としての芸術展示が行われるようになった。この芸術展示についてはオリンピック憲章にも定められている。

1964年(昭和39年)の東京大会では「芸術展示」として、A美術部門:古美術、近代美術、写真、スポーツ郵便切手、B芸能部門:歌舞伎、人形浄瑠璃、雅楽、能楽、古典舞踊・邦楽、民俗芸能の企画などが実施された。

そして、2021年(令和3年)の東京大会(TOKYO 2020)では、日本オリンピックミュージアムにおいて、「オリンピックと芸術」という視点から、国内外で活躍するアーティストによる作品、大会開催に向けて子ども達が描いた作品、アスリートによる作品の展示を通して、「みんなが描くオリンピック・パラリンピック」を紹介する。

リンク日本オリンピックミュージアムWikipedia

2021/7/22

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カテゴリー「スポーツ

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