昭和時代の小説家・登山家である深田久弥(ふかだ きゅうや)の1971年(昭和46年)の忌日。
「九山忌(きゅうざんき)」の名称は、山をこよなく愛した深田の俳号「九山」に由来する。
1903年(明治36年)3月11日、石川県江沼郡大聖寺町(現:加賀市)に長男として生まれる。東京帝国大学文学部哲学科を中退。
在学中は改造社に勤務し、1930年(昭和5年)に『オロッコの娘』などの小説を発表。これらの作品が好評を得て、同年に大学を中退して作家生活に入る。その一方で各地の山を登山する。
1933年(昭和8年)に小林秀雄らと「文学界」を創刊。1935年(昭和10年)に日本山岳会に入会。小説『鎌倉夫人』(1937年)、『知と愛』『贋修道院』(1939年)、『親友』(1943年)などを刊行。
1944年(昭和19年)に応召し、中国各地を転戦。復員後は越後湯沢、金沢などを転々とし、のち東京に転居。山岳随筆やヒマラヤ研究に力を注ぐ。1965年(昭和39年)に『日本百名山』で第16回読売文学賞(評論・伝記賞)を受賞。
1968年(昭和43年)に日本山岳会副会長に就任。1971年(昭和46年)、登山中の茅ヶ岳(山梨県)頂上近くにて、脳卒中で急逝。68歳。その場所には「深田久弥先生終焉の地」と表記された石碑が建てられている。
著書には随筆紀行集『山岳展望』(1937年)、『山頂山麓』(1942年)、『わが山々』(1948年)、ヒマラヤ紀行文『ヒマラヤ 山と人』(1956年)、『雲の上の道 わがヒマラヤ紀行』(1959年)、『ヒマラヤの高峰』(全5巻と別巻 1964~1966年)など。没後に『山の文学全集』(全12巻 1974~1975年)、『九山句集』(1978年)などが刊行された。