昭和時代の小説家・椎名麟三(しいな りんぞう)の1973年(昭和48年)の忌日。
「邂逅忌(かいこうき)」の名前は、代表的な長編作品『邂逅』にちなむ。「邂逅」は「思いがけなく出会うこと」「めぐりあい」を意味する。
1911年(明治44年)10月1日に現在の兵庫県姫路市書写東坂に生まれる。本名は大坪昇(おおつぼ のぼる)。幼少より貧窮のうちに育ち、14歳のとき家出。旧制姫路中学を中退し、果物屋の小僧・出前持ち・見習いコックなど職を転々とした末、宇治川電鉄(現:山陽電鉄)に入社する。
車掌時代にカール・マルクスを読み始めるとともに日本共産党に入党するが、1931年(昭和6年)に特高に検挙される。2年近い獄中生活ののち出所。この間ニーチェ、キルケゴールなど実存主義の思想に触れ、その後ドストエフスキーから決定的な影響を受け文学を志す。
1947年(昭和22年)に『深夜の酒宴』で登場。さらに『重き流れのなかに』(1947年)、『永遠なる序章』(1948年)、『赤い孤独者』(1951年)などを発表し、実存主義的な作風の戦後派作家として活躍する。
1950年(昭和25年)にキリスト教へ入信。以後、キリスト教作家として活動し、『邂逅』(1952年)、『自由の彼方で』(1954年)などを発表。1955年(昭和30年)に『美しい女』で芸術選奨文部大臣賞を受賞する。
脳内出血のため東京都世田谷区松原の自宅で死去。61歳。その他の作品に小説『深尾正治の手記』(1948年)、『罠と毒』(1960年)、随筆『私の聖書物語』(1957年)、戯曲『蠍を飼う女』(1960年)などがある。