江戸時代前期に渡来した中国明代の禅僧で、日本黄檗(おうばく)宗の開祖・隠元(いんげん)の1673年(寛文13年)の忌日。
1592年(万暦20年)に中国の福建省福州府福清県に生まれる。隠元は号で、諱(いみな)は隆琦(りゆうき)。29歳の時、生地である福清の古刹(こさつ:由緒ある古い寺)で、黄檗希運も住した黄檗山萬福寺の鑑源興寿の下で得度する。
1654年(承応3年)に来日。1660年(万治3年)に江戸幕府4代将軍・徳川家綱から山城国宇治(現:京都府宇治市)に寺地を賜り、翌年、新寺を開創し、旧を忘れないという意味を込め、故郷の福清と同名の黄檗山萬福寺と名付ける。
隠元自身は臨済正宗と称していたが、独特の威儀を持ち、禅とさまざまな教えを兼ね併せる当時の「禅浄双修」の念仏禅や、「禅密双修」の陀羅尼禅を特徴とする明朝の禅である「明禅」を日本に伝える。
また、道者超元と共に当時の禅宗界に多大な影響を与え、江戸時代における臨済・曹洞の二宗の戒律復興運動などにも大きな貢献をする。その他、明代の書をはじめとして当時の中国における文化や文物をも伝え、隠元豆の名称に名を残し、日本における煎茶道の開祖ともされる。