明治から昭和時代の歌人・前田夕暮(まえだ ゆうぐれ)の1951年(昭和26年)の忌日。
季節の花にちなみ「菜の花忌」と呼ばれる。「菜の花忌」の名前で呼ばれる忌日として、2月12日の小説家・司馬遼太郎の「菜の花忌」と、3月12日の詩人・伊東静雄の「菜の花忌」がある。
1883年(明治16年)7月27日、現在の神奈川県秦野市の豪農の家に生まれる。本名は洋造(洋三とも)。父は県議、村長を務めた厳格な人物であった。中郡共立学校を中退。
近畿地方、東北地方へ放浪の旅に出る。この頃より文学に目覚める。1904年(明治37年)、上京し尾上柴舟に師事。同時期に若山牧水も入門し、以後、交友が続く。
1906年(明治39年)、短歌結社「白日社」を創立。雑誌『向日葵(ひぐるま)』や『詩歌(しいか)』を創刊・主宰。1910年(明治43年)、第一歌集『収穫』を刊行。『明星』の浪漫主義に対抗し、若山牧水とともに自然主義の代表歌人として注目され、「夕暮・牧水時代」と称される時代を築く。
1924年(大正13年)、北原白秋との交友の中で、雑誌『日光』の刊行に尽力。昭和初期に近代主義を唱え口語自由律短歌に転じるが、晩年に再び定型歌に復帰する。結核性脳膜炎のため東京都杉並区荻窪の自宅で死去。67歳。多磨霊園に葬られる。
その他の作品に歌集『陰影』(1912年)、『生くる日に』(1914年)、『水源地帯』(1932年)、随筆集『緑草心理』(1925年)などがある。また、『詩歌』では萩原朔太郎らが詩を発表しており、多くの詩人・歌人を育成した。