1956年(昭和31年)のこの日、熊本県水俣市の保健所に市内の新日本窒素肥料(現:チッソ)水俣工場付属病院より原因不明の奇病が報告され、これがきっかけとなり水俣病が広く知られるようになった。
公害の水俣病を忘れない日にと2006年(平成18年)に記念日を制定。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
水俣病は、熊本県の水俣湾周辺で発生したメチル水銀中毒による慢性の神経系疾患である。熊本県水俣市にあった新日本窒素肥料水俣工場は、アセトアルデヒドの製造過程で出る工業排水を水俣湾に排出していたが、これに含まれていたメチル水銀が魚介類の食物連鎖によって生物濃縮し、汚染されていることを知らずに摂取した住民の一部にメチル水銀中毒症が見られた。
当初は原因が分からず「奇病」と呼ばれていたが、地名から「水俣病」と呼ばれるようになった。日本の高度経済成長期に発生し、「公害の原点」ともいわれる。水俣病、第二水俣病(新潟水俣病)、イタイイタイ病、四日市ぜんそくの4つは、「四大公害病」と呼ばれる。
水俣病の症状としては、四肢末梢神経の感覚障害、運動失調、求心性視野狭窄、聴力障害、平衡機能障害、言語障害、手足の震えなどがある。患者には、特異な神経症状を呈して意識不明や死亡する重症例から、頭痛や疲労感、耳鳴りなどの軽症例まで多様な形態が見られた。水俣病と認定された患者の数は約2,300人で、そのうち約1,800人が死亡した。
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