弦斎忌(7月30日 記念日)

明治・大正時代のジャーナリスト・小説家である村井弦斎(むらい げんさい)の1927年(昭和2年)の忌日。

村井弦斎

村井弦斎について

1864年(文久3年)1月26日、三河吉田藩(現:愛知県豊橋市)の武家の子として生まれる。本名は寛(ゆたか)。父も祖父も儒者として藩に仕え、漢学をよくした家柄。東京外国語学校(現:東京外国語大学)露語科を中退。

1884年(明治17年)にアメリカへ渡り、1887年(明治20年)の帰国後に『郵便報知新聞』客員となる。その後、正社員になり、1895年(明治28年)に編集長となる。遅塚麗水(ちづか れいすい)、原抱一庵(はら ほういつあん)、村上浪六(むらかみ なみろく)との四人で「報知の四天王」と呼ばれる。

その一方で、小説『小説家』(1890~91年)で認められ、『小猫』(1891~92年)により小説家の地位を確立、長編小説『日の出島』(1896~1901年)でその人気は絶頂に達する。

また、1903年(明治36年)の『食道楽(くいどうらく)』は小説でありながら、600種以上の四季折々の料理や食材の話題が盛り込まれ、大衆的な人気を博す。1906年(明治39年)に女性雑誌『婦人世界』の編集顧問となり、初めて料理法・医療法などの実用記事を多く取り入れ、現在の女性雑誌の原型を作る。

1927年(昭和2年)7月30日、63歳で死去。神奈川県平塚市の住居跡は「村井弦斎公園」となっており、2000年(平成12年)以降、村井弦斎の遺徳を偲ぶ行事として同公園で「村井弦斎まつり」が開催されている。

リンクWikipediaコトバンク平塚市

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カテゴリー「7月の記念日」「今日は何の日

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