露伴忌(7月30日 記念日)

明治から昭和時代の小説家・幸田露伴(こうだ ろはん)の1947年(昭和22年)の忌日。

この日は、別号の蝸牛庵(かぎゅうあん)に由来して、「蝸牛忌」とも呼ばれる。

幸田露伴

幸田露伴について

1867年(慶応3年)8月22日、武蔵国江戸下谷三枚橋横町(現:東京都台東区)に四男として生まれる。本名は成行(しげゆき)。逓信省官立電信修技学校を卒業。

卒業後、電信技師として北海道余市に赴任するが、文学の道を志し、1887年(明治20年)に職を放棄し帰京。

1889年(明治22年)、小説『露団々(つゆだんだん)』『風流仏(ふうりゅうぶつ)』を発表。更に、下谷区の谷中天王寺をモデルとする『五重塔(ごじゅうのとう)』(1893年)などを発表し、作家としての地位を確立する。

同世代の小説家・尾崎紅葉(おざき こうよう)とともに「紅露時代」と呼ばれる黄金時代を築く。「写実主義の尾崎紅葉、理想主義の幸田露伴」と並び称され、人気を二分する。

1937年(昭和12年)に第1回文化勲章を授与され、帝国芸術院会員となる。1947年(昭和22年)7月30日、肺炎に狭心症を併発して死去。79歳。

その他の代表作に、小説『一口剣(いっこうけん)』(1890年)、『風流微塵蔵(ふうりゅうみじんぞう)』(1893~95年)、『天うつ浪』(1905年)、『運命』(1919年)、評釈『芭蕉七部集』(1920~47年)などがある。

リンクWikipediaコトバンク

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カテゴリー「7月の記念日」「今日は何の日

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