谷崎忌(7月30日 記念日)

明治から昭和時代の小説家・谷崎潤一郎(たにざき じゅんいちろう)の1965年(昭和40年)の忌日。

この日は「潤一郎忌」とも呼ばれる。

谷崎潤一郎

谷崎潤一郎について

1886年(明治19年)7月24日、東京市日本橋区蛎殻町(現:東京都中央区日本橋人形町)に生まれる。弟の谷崎精二(たにざき せいじ)は、後に小説家・英文学者(早稲田大学教授)となる。

旧制第一高等学校を卒業後、1908年(明治41年)に東京帝国大学国文科に入学するが、後に学費未納により中退。

1910年(明治43年)、在学中に哲学者・和辻哲郎(わつじ てつろう)らと文芸雑誌・第二次『新思潮(しんしちょう)』を創刊し、同年にデビュー作となる戯曲『誕生』や短編小説『刺青(しせい)』を発表。小説家・永井荷風(ながい かふう)により『三田文学』誌上で激賞され、谷崎は文壇において新進作家としての地歩を固める。

短編『悪魔』(1912年)や『お艶殺し』(1915年)などを書いて官能的な耽美派(たんびは)・悪魔主義の作家とされ、長編『痴人の愛(ちじんのあい)』(1924~25年)でその頂点を示す。

1923年(大正12年)9月1日に起きた関東大震災の後、関西に移住して、古典や純日本的なものに関心を集め、長編『卍(まんじ)』(1928~30年)や『蓼喰ふ虫(たでくうむし)』(1928~29年)、中編『吉野葛(よしのくず)』(1931年)、短編『盲目物語』(1931年)、『蘆刈(あしかり)』(1932年)、中編『春琴抄(しゅんきんしょう)』(1933年)などを発表する。

戦中に『源氏物語』現代語訳(1939~41年)を完成させ、長編『細雪(ささめゆき)』(1944~48年)を書く。戦後は長編『少将滋幹の母(しょうしょう しげもとの はは)』(1949~50年)、『鍵』(1956年)、『瘋癲老人日記(ふうてんろうじんにっき)』(1961~62年)などを発表する。

1949年(昭和24年)、第8回文化勲章を受章。1965年(昭和40年)7月30日、腎不全に心不全を併発して死去。79歳。その他の著書に、日本美の再発見に言及した随筆『陰翳礼讃(いんえいらいさん)』(1933~34年)などがある。

リンクWikipediaコトバンク

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カテゴリー「7月の記念日」「今日は何の日

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