室町時代の連歌師・宗祇(そうぎ)の1502年(文亀2年)の忌日(旧暦)。
1421年(応永28年)生まれ。号は自然斎(じねんさい)・種玉庵(しゅぎょくあん)。姓は飯尾(いいお)と伝えられる。
若い頃に京都・相国寺(しょうこくじ)に入り、30歳の頃より連歌を志す。連歌師・宗砌(そうぜい)、専順(せんじゅん)、心敬(しんけい)に連歌を学び、歌人・東常縁(とう つねより)から古今伝授(こきんでんじゅ)を受ける。
古今伝授とは、勅撰和歌集である古今和歌集の解釈を、秘伝として師から弟子に伝えたものである。
1495年(明応4年)に連歌師・猪苗代兼載(いなわしろ けんさい)らと『新撰菟玖波(つくば)集』を撰進する。句集に『萱草(わすれぐさ)』(1474年)、『竹林抄(ちくりんしょう)』(1476年)、連歌論に『吾妻問答(あづまもんどう)』(1470年)などがある。