明治時代の歌人・小説家である伊藤左千夫(いとう さちお)の1913年(大正2年)の忌日。
1864年(元治元年)9月18日、上総国武射郡殿台村(現:千葉県山武市殿台)に生まれる。本名は幸次郎(こうじろう)。農家の生まれであるが漢詩や漢文を学ぶ。
1881年(明治14年)、明治法律学校(現:明治大学)に入学するも眼病を患い、同年に中退。1900年(明治33年)、俳人・歌人の正岡子規(まさおか しき)に師事する。子規の没後は根岸派を継承、短歌雑誌『馬酔木(あしび)』『アララギ』を主宰する。
門下に島木赤彦(しまき あかひこ)、斎藤茂吉(さいとう もきち)、土屋文明(つちや ぶんめい)らがいる。歌集『左千夫歌集』(1928年)、歌論『左千夫歌論集』(1929~31年)、小説『野菊の墓』(1906年)、『隣の嫁』『春の潮』(1908年)などがある。