江戸時代前期~中期の俳人・松尾芭蕉(まつお ばしょう、1644~1694年)の忌日(旧暦)。
冬の季語。この日は「芭蕉忌(ばしょうき)」の他に、「時雨忌(しぐれき)」「桃青忌(とうせいき)」「翁忌(おきなき)」とも呼ばれる。「時雨(しぐれ)」は旧暦十月の異称であり、芭蕉が好んで詠んだ句材でもある。「桃青(とうせい)」は芭蕉の別号であり、「翁(おきな)」は芭蕉を指す言葉である。
1644年(寛永21年)、伊賀国阿拝郡(現:三重県伊賀市)に生まれる。幼名は金作。通称は甚七郎など。名は宗房(むねふさ)。俳号は初め宗房(そうぼう)、次いで桃青、芭蕉(はせを)と改める。
藤堂良忠(とうどう よしただ、俳号:蝉吟(せんぎん))に仕え、その良忠とともに京都にいた歌人・俳人の北村季吟(きたむら きぎん)に師事して俳諧の道に入る。歌人・俳人の松永貞徳(まつなが ていとく)を祖とする貞門派(ていもんは)を学ぶが、江戸に下って、談林派(だんりんは)に触れて大きな影響を受ける。
1680年(延宝8年)、深川の芭蕉庵に居を移し、この頃から独自の蕉風(しょうふう)を開拓する。蕉風は芸術性の極めて高い句風であり、私意私情を去って自然と一体になることを目指したもので、さび・しおり・細み・軽みなどを基本理念とする。
1684年(貞享元年)、『野ざらし紀行』の旅に出る。旅から戻った後、1686年(貞享3年)の春に芭蕉庵で催した蛙(カエル)の発句会で、有名な句「古池や蛙飛びこむ水の音」(ふるいけや かはづとびこむ みずのおと)を詠む。
僧侶・歌人の西行(さいぎょう)500回忌に当たる1689年(元禄2年)、弟子の河合曾良(かわい そら)を伴い、『おくのほそ道』の旅に出る。江戸を発ち、東北、北陸を巡り、岐阜の大垣まで、約150日間600里(約2400km)の旅を終え、1691年(元禄4年)に江戸へ帰る。未知の国々を巡る旅の中で、数多くの句を詠む。
その他、伊勢へ向かう『笈の小文(おいのこぶみ)』や『更科紀行(さらしなきこう)』など各地への旅を通して蕉風を確立する。1694年(元禄7年)10月12日、旅先の大坂で病気のため死去。50歳。
後世、句集は『俳諧七部集』に収められる。その他の著書として、俳文『幻住庵記(げんじゅうあんき)』や日記『嵯峨日記(さがにっき)』などがある。芭蕉は古今に並ぶ者のない優れた俳人として、俳聖(はいせい)とも呼ばれる。
関連する記念日として、『おくのほそ道』の旅に出た日に由来して、5月16日は「日本旅のペンクラブ」(旅ペン)が制定した「旅の日」という記念日になっている。