嵐雪忌(10月13日 記念日)

江戸時代前期~中期の俳人・服部嵐雪(はっとり らんせつ、1654~1707年)の忌日(旧暦)。

冬の季語。

服部嵐雪

服部嵐雪について

1654年(承応3年)に長男として生まれる。幼名は久馬之助。通称は孫之丞・彦兵衛。別号は嵐亭治助・雪中庵・不白軒など。

服部家は淡路出身の武家で、嵐雪の生まれについては、江戸湯島(現:東京都文京区湯島)とする説と、淡路国三原郡小榎並村(現:兵庫県南あわじ市榎列小榎列)とする説がある。

1674年(延宝3年)頃、俳人・松尾芭蕉(まつお ばしょう)に入門。蕉門で最古参の一人となる。同門に宝井其角(たからい きかく)。1688年(貞享5年)、『若水(わかみず)』を刊行。同年、武士をやめて俳諧に専念し、人に教える立場の宗匠(そうしょう)となる。

俳風は柔和な温雅さを特徴とする。芭蕉は嵐雪の才能を高く評価し、1692年(元禄5年)3月3日の桃の節句に「草庵に桃桜あり。門人に其角嵐雪あり」と称えている。

1694年(元禄7年)、江戸で芭蕉の訃報を聞く。芭蕉没後は江戸俳壇を其角と二分し、その一派を雪門(せつもん)と称する。1707年(宝永4年)10月13日、53歳で死去。芭蕉の弟子の中で特に優れた高弟10人を意味する蕉門十哲(しょうもんじってつ)の一人とされる。

その他の著書に『其袋(そのふくろ)』(1690年)、『或時集(あるときしゅう)』(1694年)、『若菜集(わかなしゅう)』(1695年)、『杜撰集(ずさんしゅう)』(1701年)などがある。

リンクWikipediaコトバンク

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カテゴリー「10月の記念日」「今日は何の日

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