「アルプススタンド」の語源・由来

阪神甲子園球場の内野席と外野席の間にあるそそり立つような大観客席を「アルプススタンド」といい、現在では正式名称にもなっている。

これは白いシャツを着た生徒たちが観客席を埋め尽くす姿が、雪に覆われたアルプス山脈のように見えたことに由来する。

アルプススタンドの由来

そのため、「アルプススタンド」(Alps stand)は和製英語であり、「アルプススタンド」と呼ぶのは甲子園球場だけである。

「高校野球の聖地」とされる甲子園球場では、1929年(昭和4年)、中等学校野球(現:高校野球)の人気により増え続ける観客を収容するための工事が行なわれ、外野のファウルゾーン東西の20段の木造スタンドが、50段の鉄筋コンクリート製へと改修された。

その年の夏、新設のスタンドは白いシャツを着た生徒で埋め尽くされ、朝日新聞記者として取材していた人気風刺漫画家の岡本一平(おかもと いっぺい、1886~1948年)は、その光景を「ソノスタンドハマタ素敵ニ高ク見エル、アルプススタンドダ、上ノ方ニハ万年雪ガアリサウダ」と表現し、8月14日の朝日新聞に風刺漫画とともにこの一文を掲載した。これ以来、その大観客席は「アルプススタンド」と呼ばれるようになった。

岡本一平が「アルプススタンド」と表現した経緯には2つの説がある。1つ目は、当時の大阪朝日新聞編集局で、登山家でもあった藤木九三(ふじき くぞう、1887~1970年)が考え、一平がその話を伝え聞いたという説である。2つ目は、一緒に観戦していた一平の息子が、「アルプスのようだ」とつぶやいたという説である。この息子とは、後に「芸術は爆発だ」という名言を残し、代表作「太陽の塔」などで知られる芸術家の岡本太郎(おかもと たろう、1911~1996年)である。

また、甲子園球場では7年後の1936年(昭和11年)に、アルプススタンドに続いて外野スタンドが改修・拡張された。同じく朝日新聞紙上でアルプスに対して「ヒマラヤスタンド」という愛称が付けられたが、残念ながらこちらはあまり普及せず、その名前は定着していない。

リンクスポランドWikipedia阪神甲子園球場

2019/5/11

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