現在、日本茶の多くは「緑色」だが、「茶色」という色は「茶の色」なのに、緑色ではなく土や栗の実のような「褐色」と呼ばれる色である。
「茶色」は、オレンジ色と黒色の中間色とも表現され、英語ではブラウン(brown)と呼ばれる色である。このような色が「茶色」と呼ばれるようになった理由は、「茶色」という言葉が出来た時に、少なくとも庶民が飲んでいたお茶は「緑色」ではなく、「褐色」や「栗色」とも呼ばれる「茶色」だったためである。
平安時代にお茶は中国から日本に伝わったとされる。その後、室町時代には茶の葉の煎じ汁が染料として使われ始め、それに伴い「茶色」という名前が生まれた。そして、江戸時代初期まで、お茶の色は緑色ではなく褐色の「茶色」だった。
お茶が茶色から緑色になったのは、江戸時代に「青製煎茶製法(あおせいせんちゃせいほう)」というお茶の製法が発明されたことがきっかけである。
山城国(現:京都府南部)で宇治茶を栽培していた永谷宗円(ながたに そうえん、1681~1778年)らの長きに及ぶ開発により、お茶を製造する時に焙炉(ほいろ)で乾燥させながら手で「揉む」という工程が入るようになった。
この改良された製法では茶葉が青く緑色に仕上がり、お茶の色も茶色ではなく緑色となった。この味も優れた緑色の新しい「煎茶」は、たちまち評判となり、以後「宇治の煎茶」は日本を代表するお茶となった。
お茶にはこのような変革の歴史があり、「茶色」は昔のお茶の色に由来して「緑色」ではなく「褐色」を意味する言葉であり、現在もその名残を留めている。ちなみに、茶色であることを強調するために「茶褐色」という言葉もある。
2020/2/2
カテゴリー「食べ物」