羽田空港の地下に眠る飛行機

羽田空港は1931年(昭和6年)に開港し、80年以上の歴史がある。その羽田空港の滑走路の下には飛行機が眠っている。

羽田空港

都市伝説のような話だが、これには第二次世界大戦後の連合国軍最高司令部(GHQ)が関係している。戦争中、羽田空港は軍事拠点として利用されており、数十機の飛行機や大量の兵器などが保管されていた。大戦終結後、日本はGHQにより飛行機の製造や研究、飛行が禁じられた。

これに伴い、空港内にあった飛行機は破壊され、武器などと共に空港そばにあった「鴨池」という池に廃棄され、その池も埋め立てられた。そして、後にこの池の上に羽田空港の滑走路が建設されたというわけである。

その地中に眠る飛行機の中には、日本で唯一の長距離飛行の世界記録を作った実験機「航空研究所試作長距離機」という貴重な機体も含まれる。東京帝国大学附置航空研究所(航研)が設計し、飛行は大日本帝国陸軍の協力のもと、1938年(昭和13年)に世界記録を樹立した。この飛行機の略称は「航研機」で、両翼が赤く塗られたことから通称は「真紅の翼」である。

航研機

1993年(平成5年)、滑走路の拡張工事を行った際に、地面からその当時の飛行機の一部であるプロペラが発見された。今もなお羽田空港の滑走路の下には飛ぶことが出来なかった悲運の飛行機が眠り、その上を飛行機が飛んでいる。

リンク現代ビジネスWikipedia

2020/3/25

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カテゴリー「乗り物

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