日本中のお土産屋には少年が大好きな「木刀」が売られている。修学旅行のお土産になることも多いこの木刀を全国に広めた人物がいる。
その人とは白虎隊で有名な福島県会津若松市の出身で、現在は木製品の製造メーカーであるタカハシ産業の会長・高橋信男(たかはし のぶお)さんである。
時は1972年(昭和47年)の高度経済成長期の話である。当時は景気がよく何を作っても売れる時代だった。そんな中で、高卒の若者だった高橋さんは図面を複写する会社を立ち上げた。しかし、営業力がなく会社はすぐに潰れてしまった。
その後、復活を誓い、東京で訪問販売員として営業力を磨いていた。久しぶりに帰省した時、地元のお土産屋で木刀が売られているのを目にした。会津は白虎隊で有名であり、お土産屋には昔から木刀があった。
激動の明治維新の最中に戦った若者たち「白虎隊」をモチーフにした木刀の「白虎刀」は人気の土産物だった。高橋さんはその木刀を全国的に販売することを思い付いた。インターネットもない時代に、電話帳で土産物屋や問屋の住所を調べ、全国の店に直接足を運んで売り込んだ。
磨いてきた営業力が生き、木刀の文字を「白虎刀」から「浅草雷門」や「名古屋城」「登呂遺跡」「金刀比羅」「大宰府」など土地ごとに変えることで、木刀は全国的に売られるようになった。京都や奈良などの修学旅行先や、剣道の全国大会が行われた武道館などで木刀がよく売れた。
最初は製造元から仕入れて売っていた木刀は自社製造になり、全盛期には年間16万本を売り上げた。販売する木刀が不足するほど売れた時期もあったが、子どもの数が減り、遊ぶ物も変わってしまい、後に木刀の売り上げは激減した。
子どもが買うことを考え、値段は安く設定されており、利益はほとんどないが、現在も全国のお土産屋では木刀が売られている。このように、全国のお土産屋で木刀が売られているのは、一本の木刀に商機を見出した高橋さんという人がいたためである。
2020/5/11
カテゴリー「歴史・文化」