「てるてるぼうず」は、「てるてる坊主」や「照る照る坊主」と表記され、白い布や紙で作られた人形を軒先に吊るすことで翌日の晴天を願う。
「てるてるぼうず」は、日本では江戸時代の中期には飾られていたとされる。その当時の日常を描いた書物には「てりてり坊主」や「てるてる法師」などの表記が見られ、様々な名前で呼ばれていた。その名前は「天を照らす法師」→「天照る法師」→「照り照り法師」→「照る照る法師」→「てるてる坊主」に変化したという説もある。
現在では日本の風習の一つとなっているが、「てるてるぼうず」の起源は中国のある風習に由来するという説がある。江戸時代の儒学者・榊原篁洲(さかきばら こうしゅう)の『榊巷談苑(しんこうだんえん)』では、「この国(日本)の女たちは 雨が降りやまないときに 照法師というものを作って晴れを祈る 唐の国では掃晴娘という」と紹介されている。
「掃晴娘」は「さおちんにゃん」と読み、「晴娘(ちんにゃん)」は中国の伝説上の少女の名前である。その少女は両手に箒(ほうき)を持ち、雨雲や災いを払うとされる。雨が続くと水害にならないよう晴れを祈って、その晴娘を模した切り絵や人形を家の門や軒先に吊るす風習があった。そんな中国の風習が日本に伝わり、「てるてるぼうず」になったという説である。
一説によると、その昔、中国・北京に「晴娘」という美しい女の子がいた。晴娘は頭が良く、手先が器用で切り絵が得意だった。ある年の6月、北京に大雨が降り、町は水に浸かってしまった。人々は困り果て、雨が止むよう天に向かって祈願した。晴娘も祈りを捧げた。
すると、天から晴娘が雨の神の妃(きさき)になるなら雨を止ませるという声が聞こえた。町の人々を救うため、晴娘がそれに同意すると、雨は止み、晴娘は消えてしまった。以来、北京の人々は雨が続くと、晴娘を偲んで切り絵の人形を門に掛けるようになった。
切り絵だった掃晴娘の風習は、天気を祈祷(きとう)する白装束の僧侶や修験者(しゅげんじゃ)を模して、現在の「てるてるぼうず」の形になったと考えられている。このように「てるてるぼうず」は、自らの命と引き換えに、町の人々を救った悲劇の少女に由来するという説がある。
2020/6/2
カテゴリー「歴史・文化」