鯱(しゃちほこ)が城の上にある理由

「しゃちほこ」は、漢字では「鯱」や「鯱鉾」と書く。鯱(しゃち)は、頭が虎もしくは竜、胴体が魚の中国の空想の生き物である。

名古屋城の金鯱
名古屋城の金鯱

金のしゃちほこで有名な名古屋城や、多くのしゃちほこがある姫路城、その他に犬山城、広島城、弘前城など、現在残っている多くの城の上にはしゃちほこが乗っている。そんな中で、初めて城にしゃちほこを乗せたのは織田信長が建造した安土城だと言われている。

安土城
安土城

安土城は琵琶湖東岸の安土山にあった城で、3年がかりの工事を経て1579年(天正7年)に完成した。現在は城址(しろあと)が残っているだけだが、当時の立派な天守の屋根の上にはしゃちほこが乗っていた。

もともと城は敵の攻撃から守るための要塞であり、安土城より前の城にはしゃちほこがなかった。さらに当時の城は山の地形を生かして敵の攻撃を防ぐ山城が主流であり、高い石垣や天守もない簡素なものだった。

一方、安土城は城の立派さを見せつけて相手を屈服させるという、それまでの概念を変える革命的な城だった。では、なぜ信長は安土城の上にしゃちほこを乗せたのか。

信長は中国文化に傾倒(けいとう:心から尊敬し、慕うこと)していた。その中国の宮殿の屋根の上には「竜」が乗っていた。その竜を真似て「鯱(しゃち)」を乗せたと考えられている。その鯱の尾ひれは空を向き、中国の矛(鉾:ほこ)という武器に似ていたことから「鯱鉾(しゃちほこ)」と名付けられた。

中国の要素を取り入れ、さらに威勢が良く、格好も良い。そんなしゃちほこを信長は城に取り入れた。また、鯱(しゃち)は火事の際に水を噴き出して火を消すという伝説もある。

安土城の完成から3年後の1582年(天正10年)、家臣の明智光秀による謀反(本能寺の変)により信長はこの世を去った。そして、同年に安土城の天守もしゃちほことともに焼失した。

天下統一を果たせなかった信長の意志を引き継いだのが豊臣秀吉である。信長の事業を高く評価していた秀吉は、城を造る時に信長の安土城を真似て造った。こうして1585年(天正13年)に大坂城の天守が完成し、その屋根の上にはしゃちほこが乗せられた。

しゃちほこが乗った大坂城は、秀吉が信長の後継者であることを人々に知らしめた。そして、信長が造った安土城を真似する形で、しゃちほこが乗った城が日本中に広まった。しゃちほこを城の上に乗せるのは、信長に対する尊敬の念があるためとも言える。

リンクWikipediaコトバンク

2020/5/17

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カテゴリー「歴史・文化

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