ラーメン丼にぐるぐる模様がある理由

ラーメンを食べる多く器には、縁(ふち)の部分にぐるぐる巻きの「雷紋(らいもん)」と呼ばれる模様が入っている。

ラーメン丼

雷紋とは、中国の伝統的な模様であり、古くから建築物や磁器に描かれていた。中国の磁器が日本に持ち込まれ、雷紋は石川県の磁器である九谷焼(くたにやき)に取り入れられ、九谷焼の模様として有名になった。

ラーメン丼(どんぶり)に雷紋の模様があるのは、その九谷焼を参考にして作ったためであるという説がある。

九谷焼とは、石川県の南西部にあった九谷村(現:石川県加賀市)発祥の磁器のことで、鮮やかな色彩と細かく美しい絵付けが特徴である。九谷焼の歴史は江戸時代の初期から始まり、明治時代には世界中で人気となり主要な輸出品となった。

九谷焼が世界的に知られるようになったのは、1873年(明治6年)に開催されたウィーン万国博覧会などに出品されたことがきっかけだった。ウィーン万博は開国直後の日本が初めて公式に参加した万博で、日本の上質な物産として九谷焼を出品したところ大きな反響を呼んだ。

そんな九谷焼は装飾品として海外では高い評価を得ていたが、日本国内では庶民が買うには高価であり、需要も少なく販売に苦戦していた。そんな中、食器具や調理器具などの問屋街として知られる東京・かっぱ橋にある九谷焼を製造・販売する店が雷紋の模様が入ったラーメンの器を初めて作ったという話がある。

かっぱ橋の隣に位置する浅草の街は、当時から観光地として有名で、多くの劇場や飲食店が立ち並び、日頃から多くの人々で賑わっていた。そんな浅草では後のラーメンとなる中華そばが販売され、美味しいと評判になっていた。

上記のかっぱ橋の九谷焼の店では、その中華そばの器を販売するようになった。そして、中華そばに合う器として、九谷焼でも馴染み深い中国の雷紋の模様を取り入れたと言われている。そして、中華そば(ラーメン)の人気と共に雷紋の模様が入った器は日本全国へと広まっていった。

大正時代のラーメン丼には雷紋の模様が入っていたことが確認されている。このようにラーメン丼に雷紋のぐるぐる模様があるのは、かっぱ橋の九谷焼の店が九谷焼の模様を参考にしてラーメン丼を作ったためである。

リンクSankeiBizWikipediaコトバンク

2021/5/3

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カテゴリー「食べ物

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