「ABCの歌」を伝えたジョン万次郎

江戸時代末期の1841年(天保12年)6月27日(旧暦5月9日)、足摺岬沖で航行不能となり遭難していた土佐藩の漁師たちをアメリカの捕鯨船が救助した。

助けられた漁師の中には当時14歳の万次郎という名前の少年がいた。その少年とはアメリカ本土を最初に踏んだとされるジョン万次郎(ジョン まんじろう、John Manjirō、1827~1898年)である。なお、帰国後は本名として中浜万次郎(なかはま まんじろう)を名乗った。

中浜万次郎(1880年頃)
中浜万次郎(1880年頃)

アメリカの捕鯨船はジョン・ハウランド号という名前で、当時はその船名にちなんで万次郎はアメリカ人から「ジョン・マン(John Mung)」の愛称で呼ばれた。とても優秀だった万次郎はアメリカで英語や航海術を学び、10年後の1851年(嘉永4年)、24歳の時に帰国した。

そして、万次郎は後に思想家・教育者の福沢諭吉(ふくざわ ゆきち、1835~1901年)にも英語を教えている。

また、1860年(万延元年)に日米修好通商条約の批准書を交換するための遣米使節団の一人として、咸臨丸(かんりんまる)でアメリカ・サンフランシスコへ渡った。この時、艦長の勝海舟(かつ かいしゅう、1823~1899年)、福沢諭吉と共に咸臨丸に乗り、万次郎は使節の通訳として活躍した。

そんなジョン万次郎は日本に初めて『ABCの歌』を伝えたとされる。万次郎が執筆した日本最初の本格的な英会話書『英米対話捷径(しょうけい)』(1859年)の中で、子供たちが歌っている歌として『ABCの歌』を紹介している。

この歌は現在では幼稚園や保育園で歌われることが多く、『アルファベットの歌』とも呼ばれる。英語で使われるアルファベットを学習するための歌で、『きらきら星』のメロディに乗せて歌うものが最も良く知られている。

リンクWikipediaコトバンク

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2021/10/18

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カテゴリー「歴史・文化

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