日本のトンネル技術が進化してきた歴史には先人たちの色々な努力がある。そんな中には日本の技術力を世界に一躍知らしめたトンネル工事もある。
それは「平成の難工事」として語り継がれるトンネル工事で、東海と北陸をつなぐ「飛驒トンネル」の工事である。飛驒トンネルは、岐阜県の飛驒市と大野郡白川村との間にある東海北陸自動車道のトンネルである。
全長は10,712mで道路トンネルとしては山手トンネル(首都高速中央環状線)・関越トンネル(関越自動車道)に次いで日本国内3位、世界では39位の長さである。工期は約12年で2008年(平成20年)7月5日に開通した。飛驒トンネルは東海地方と北陸地方をまたがる山岳地帯を通行しやすくするために建設された。
飛驒トンネルが作られた付近の山は高い所で標高1,700m以上あり、飛驒トンネルは深い所では山の表面から1,000m以上も下を掘っている。それだけ深いと事前の調査で地質を正確に把握することはとても難しい。これも日本トンネル史に残る難工事と呼ばれる一因となっている。
このトンネル工事では飛騨の山々を掘削するために当時最新鋭のトンネルボーリングマシーンが投入された。マシーンは直径が12.84m・全長が178m・重量が1,950トンもあり、当時としては世界最大級だった。その開発費用は約40億円である。また、地質調査などで先行して穴を掘る直径が4.5mの小型トンネルボーリングマシーンも開発された。
長いトンネルを掘るときは先進抗と呼ばれる小さなトンネルを掘る。そこで詳細な地質調査や地盤改良を行ったうえで、メインの本抗となる大型ボーリングマシーンでの工事を安全に進める。小型トンネルボーリングマシーンにはかたい岩盤をも砕く特殊合金製の32枚のカッターが付けられ、乗用車250台分の馬力を持つ推進力を備えていて、当時世界最強クラスのボーリングマシーンと呼ばれた。
かたい岩盤でもガンガン掘り進められるこれらのボーリングマシーンを駆使すれば、当初の計画ではトンネル約11kmを掘るのに4年もあれば十分だろうという見通しだった。しかし、実際に始めてみると予想外のトラブルの連続で関係者たちは愕然とした。
工事が始まったのは1997年(平成9年)のことで、まずは小型のマシーンを使って先進抗の掘削が開始された。着工から3ヵ月で思わぬトラブルが発生し、トンネルを掘り進めると1km付近でやわらかい地層にぶつかった。かたい地盤を砕くのは得意だが、やわらかすぎる地層は苦手で、くずれた土砂でマシーンのカッターが目詰まりし機能が停止してしまった。
ボーリングマシーンで一気に掘り進める方法は一旦停止され、岩盤をセメントなどで固めてから掘削を繰り返すことになった。やわらかく不安定な地盤は1,700mほどの長さがあったが、ここを抜けるのに要した期間はなんと4年だった。トンネルが開通する予定の期間がここでかかった。
やわらかい地盤をなんとか突破したのも束の間。入口から約2.7kmの地点でまたしても予期せぬ事態が発生する。それは工事の行く手を遮る大量の地下水だった。その地下水は最大で毎分70トンにもなり、ドラム缶5本が1秒かからず満タンになる量である。24時間体制で排水作業にあたったが全く間に合わなかった。ボーリングマシーンを押し返すほどの力で地下水が押し寄せてきた。
そこで先進抗に10ヵ所以上の穴をあけて地下水を抜く作業に専念した。水が少なくなったらセメントでトンネルを補強して掘り進め、また水が出たら穴をあけて水を抜いて…という作業をひたすら繰り返した。冷たい地下水を浴びながらの過酷な作業となり、作業員たちは中にウエットスーツを着込んで作業にあたった。
そして、工事開始から約9年、作業員たちの地道な努力が実を結び、トンネルの貫通残り約300mの地点まできた。「平成の難工事」は素直に終わらせてくれず、またトラブルが発生する。あと300mの所でマシーンを飲み込む大量の土砂が現れる。最後に待ち受けていたのは土石流のように大量に噴き出す粘土質の土砂で、推定400トンの圧力でボーリングマシーンに流入してきた。
その結果、先頭を掘り進めていた小型のボーリングマシーンが完全に破壊された。それまで苦楽をともにしてきたボーリングマシーンは仲間同然であり、作業員たちは泣きながらマシーンを地中で解体した。
この小型ボーリングマシーンの破壊で計画は変更を余儀なくされ、反対側からダイナマイトやショベルカーなどを使うという昔ながらの方法で地道に掘り進めることになった。そして、着工から9年6ヵ月が経った2007年(平成19年)1月13日に本坑の全長約11kmが貫通した。その後、約2年間の内部工事を経て、2008年7月5日に飛驒トンネルは開通した。
工期は約12年、総事業費は約1,000億円という大規模な工事をやり終え、東海地方と北陸地方はつながった。この工事の成功が大きく注目された理由の一つが、死亡事故がゼロだったこと。これは世界の大規模トンネル工事でもとても珍しいことである。苦楽をともにしたボーリングマシーンは地中で解体され、今はトンネルの一部となっている。
リンク:Wikipedia
2025/8/26
カテゴリー「地理・地名」