プロ野球でビールかけが始まった理由

プロ野球でリーグ優勝するとビールかけをするのが習慣となっている。ビールかけをするのはカールトン半田がきっかけを作ったとされている。

ビールかけをする人

日本で最初にビールかけが行われたのは1959年(昭和34年)に福岡ソフトバンクホークスの前身の南海ホークスが後楽園球場でパ・リーグ優勝した時である。

優勝の立役者は「最強のアンダースロー」と呼ばれたエースの杉浦忠(すぎうら ただし、1935~2001年)で、シーズン38勝4敗(勝率.905)・防御率1.40という記録でMVPを獲得し、チームを4年ぶりのリーグ優勝に導いた。

そして優勝を決めた夜には東京・中野にあった宿舎のホテルで祝勝会が開かれ、ビールかけが行われた。ビールかけを始めた男のカールトン半田(かーるとん はんだ、1931~2019年)は日系アメリカ人2世としてハワイに生まれ、アメリカのマイナーリーグでプレーした後に1958年(昭和33年)に27歳で南海ホークスに入団した。セカンドやサード、ショートの内野手として活躍した。

メジャーリーグでは優勝した際にシャンパンをかけ合うシャンパンファイトの風習があった。一方、日本のプロ野球では宴会の席でお酒やビールを飲むだけだった。アメリカでのプレー経験があったカールトン半田はシャンパンファイトがあるものだと思い込んでいた。

リーグ優勝は半田が日本で初めてつかんだ栄冠であり、全員で喜びを分かち合いたいという思いが強かった。半田は優勝の立役者である杉浦にビールを急にかけた。真面目で「球界の紳士」とも言われた杉浦は戸惑ったがビールかけに参加した。そのビールかけの様子は新聞や雑誌にも掲載された。

ビールかけの様子について当時の野球雑誌では以下のように掲載された。たちまち収拾がつがず、互いにビールを頭からかけあい、部屋一面がビールの洪水となってしまった。ビールの雨はエース杉浦に集中して注がれる結果となり、これにはさすがの杉浦も悲鳴をあげてしまった。

この時に杉浦投手のあげた悲鳴は嬉しい悲鳴だった。一方で室内でなんの予告もなくビールかけを行い、部屋は濡れてそれなりの被害をもたらしたことは想像できる。南海ホークスのビールかけの様子が新聞や雑誌に掲載され、他の球団の選手も楽しそう、やってみたいと思うようになった。

実際、翌年の1960年(昭和35年)のセ・リーグ優勝を果たした大洋ホエールズの選手もビールかけを行った。その後、ビールかけは屋外で行われることが増え、会場側にも考慮しながら行われるようになり、優勝したチームしか味わえない最高のイベントとなった。

リンク:Wikipedia

2026/10/29

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カテゴリー「スポーツ」

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